ARTIST
フェア・ウォーニング
FAIR WARNING
1989年、ZENOのメンバーとして活動をしていたウレ・リトゲン(B)、トミー・ハート(Vo)、C.C. ベーレンズ(Ds)が、リーダーであったジーノ・ロートの脱退後、ヘルゲ・エンゲルケ(G)とアンディ・マレツェク(G)を加えたことによりFAIR WARNINGが誕生。1992年に『FAIR WARNING』でデビュー、 日本での人気の土壌があったZENOが発展したバンドという注目度の高さと、後にメロディアス・ハード・ロックの代名詞となるメロディを強調した楽曲でたちまち大ブレイク、一躍日本での人気を確立することになる。勢いに乗る彼らは1995年に2ndアルバム『RAINMAKER』を発表。より緻密に織成されたメロディの質は前作を凌ぐものとなり、日本でもゴールド・ディスクを獲得するなどの実績を作る。
順調な活動を見せていたバンドだったが、突然のアンディの原因不明の病により活動に暗雲が立ち込めはじめる。バンドはアンディの回復を待ちつつ新作のレコーディングを慣行、1997年に『GO!』を完成。翌年の来日公演直前にC.C.が脱退するというハプニングはあったものの、サポート・ドラマーを迎えることによって無事公演を行う。正式なドラマーは不在のまま新作のレコーディングに突入したバンドだったが、2000年に『4』を発表する。再度の躍進を期待された彼らだったものの、音楽的相違によりアンディが脱退。 アンディを追うようにトミーも脱退し、遂にウレとヘルゲのみとなってしまったバンドは、ここで暫くの活動休止を宣言することになる。
活動休止後は、ヘルゲが脱退したC.C.と共にDREAMTIDEを結成し活動。脱退したトミーはSOUL DOCTORを結成。ウレは音楽活動こそ離れていたものの、絵を描くなどをしながら創作活動は続けていた。しかし止まることのない再結成待望論の中、2005年にトミーとC.C.がバンドへ復帰し、遂に活動再開を宣言。翌年『BROTHER’S KEEPER』をリリースし、秋には再来日公演を行なう。そして、その変わることのなかった彼らの姿に多くのファンが喜んだ。2009年には6thアルバム『AURA』を発表。LOUD PARKにて初めて日本のフェスティヴァルにも出演、翌年1月には単独公演も行うなど、活発な活動を見せる。また 『AURA』に伴うライヴの模様を収録したライヴ作品『TALKING AIN’T ENOUGH』も発表する。
バンドとしてオフの間もトミーは東日本大震災のチャリティーとして「HELP! FOR JAPAN」プロジェクトを立ち上げ、多くの著名ミュージシャンを招いてシングルを制作する。そして2012年にはアルバム『SUNDANCER』を発表する。
2015年、日本ではレーベルをキングレコードに移籍して初期の楽曲をリ・レコーディングしたベスト・アルバム『ピンプ・ユア・パスト』と、過去作品5タイトル(『ゴー!』、『ライヴ・アンド・モア』、『フォー』、『ブラザーズ・キーパー』、『オーラ』)を同時発売した!!