ARTIST
ハーレム・スキャーレム
HAREM SCAREM
1991年にメロディアス・ハード・ロックの超新鋭として鮮烈なデビューを飾ったHAREM SCAREMは、
1993年に放った日本デビュー作となる2nd ALBUM『MOOD SWINGS』で飛躍的な成長を遂げ、
一躍スターダムへと駆け上がった。
1995年に満を持してリリースされた3rd ALBUM『VOICE OF REASON』も
時代性を的確に捉えたモダンなサウンドを取り込みながらも、
決してメロディも忘れないという彼らの個性は損なわれることは無かったが、
残念ながらこのサウンドが日本では受け入れられず終わってしまう。
その後、オリジナル・メンバーのマイク・ジオネット(B)が脱退するが、
新たにバリー・ドナヘイを迎え、1997年に若干2nd路線に揺り戻した『BELIEVE』を発表。
翌1998年にもほぼ同路線と言える『BIG BANG THEORY』をリリースする。
しかし、ここでバンドに転機が訪れる。
贅肉を削ぎ落とし、コンパクトに簡素化された単純明快なギター・パワー・ポップという
領域に挑んだ冒険作『RUBBER』を巡り賛否両論が渦巻く。
彼らはバンド名をRUBBERに変え、2000年に『ULTRA FEEL』で再スタートを切ったが、
この試みは思うような成功を得られることなく終わってしまう。
それから1年後、バンドは再び名前をHAREM SCAREMに戻すことを選択。
心機一転、起死回生の入魂のアルバム『WEIGHT OF THE WORLD』を完成させる。
最高傑作『MOOD SWINGS』の頃のスピリットを戻しつつも、
RUBBERで培ったポップ・フィーリングも活かすことも忘れずに作り上げた本作にて
バンドはその軌道を修正することに成功する。
以降、『HIGHER』、『OVERLOAD』、『HUMAN NATURE』とコンスタントにアルバムをリリースし、
久しぶりの日本公演も決定するが、その直前になり突然の解散宣言。
日本公演と翌月のイギリス公演、そしてラスト・アルバム『HOPE』のリリースを以て解散することを発表する。
それから5年。
その間、ハリーはFIRST SIGNALや2枚目のソロ・アルバム等、精力的な活動を見せ、
ピートやクレイトンも自身のバンドでマイペースな活動を続けるが、
ファンからの鳴り止まない再結成待望の声の中、イギリスで開催されるフェスティヴァル、
FIREFESTのオーガナイザーのラヴコールが実り、
『MOOD SWINGS』発表から20周年となる2013年の期間限定での復活を発表。
ハリーとピート、クレイトンに加え、かつてのメンバーだったダレンも復帰し再録アルバム『MOOD SWINGS II』を制作。
ツアーにはクレイトンは帯同せず、ダレンのバンドBLACK STARで活動していたスタン・マイチェックを迎え、
再びHAREM SCAREMが動き出す!