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東京やニューヨークなどの大都市には、インターネットのようなヴァーチャルなものではなく、実体を伴った情報が豊富に集まってくる。常に新しい情報の刺激があるので、最先端の芸術作品が次々と生み出されている。しかし、芸術作品には、周囲の雑音に邪魔されず、心静かにじっくりと構想を練ったところから生まれるものもある。いや、むしろその方が本来の姿だったはずだ。時間の流れがあまりにも速く、住んでいる人間までせっかちにしてしまう大都市から、そういった作品が生まれてくるとは考えにくい。
オーケストラ・ド・コントラバス(以下オケコン)の日本盤担当ディレクターでもあるキングレコードの森川氏が、1999年に前作『踊るコントラバス(原題:Transes
Formations)』を発表したばかりのメンバーとアムステルダムで会ったとき、この『オケコン!(原題:Musiques
de lユhomme)』となるべき次作がすぐにでも完成するような口ぶりだったという。その“すぐ”が“4年後”を意味することになるとは、関係者の誰もが想像していなかったに違いない。様々な事情でアルバム制作の予定が遅れるというのは、決して珍しいことではないが、彼らの場合、ここまで時間がかかった大きな理由はおそらく、大都市の時間感覚を超越したところで“心静かにじっくりと”作品と取り組んでいたからだろう。フランスを拠点とするオケコンのリーダー、クリスチャン・ジャンテの住むシノンという街は、直線距離にしてパリの南西250km、24時間耐久レースで有名なル・マン市の南100kmの、ヴィエンヌ川のほとりにある。写
真で見ると、緑に覆われたのどかな街で、いかにも時間がゆったりと流れていそうな風情だ。しかも、オケコンがいつもリハーサルで使っているのは、この街にある“アベイ・ド・スイー”という、15世紀に建てられた修道院だそうだ。その建物の中に入れば、ほとんど時間が静止したような感覚になるに違いない。ちなみに、同じくキングレコードから発売されている藤原清登のソロ・ベース・アルバム『ガルガンチュア』は、この修道院でレコーディングされた作品である。藤原の素晴らしい演奏はもちろん、内部空間の響きまで丁寧に収録されているので、興味のある方はお聴きになってみてはいかがだろう。
さて、4年ぶりの新作となるこの『オケコン!』だが、ヨーロッパ各地の民族音楽を題材にしたような楽曲が多く、『Musiques
de lユhomme(ヒューマン・ミュージックという意味)』という原題も、そのあたりを踏まえて付けられたと思われる。ジャンテの手になるオープニングの「6と7」は、“7と格闘する6人”という意味合いの原題が示すように、ブルガリアのフォーク・ダンスに見られる7拍子(2+2+3)のリズムを基調にした曲である。20世紀の初頭、ハンガリーの作曲家ベーラ・バルトークとゾルターン・コダーイが中心になって、東ヨーロッパから西アジアにかけての民族音楽を大量
に採集した。その中にブルガリアのフォーク・ダンスの音楽も含まれていて、バルトークは自身のピアノ曲集『ミクロコスモス』でそのリズムを取り入れている。7拍子のダンスというと、想像するのが難しいかもしれないが、現地のオバチャンたちは(主に女性のダンスのようである)互いに手をつないで輪をつくり、ごく自然にステップを踏んでいる。いっぽうのオケコンは、各パートが幾何学的に構成されたこの曲で、見事なアンサンブルを聴かせている。歌いながらのピツィカートとアルコとの対話で始まる2曲目「レフェ・ソノール」は、オリヴィエ・モレによるこれまた4分の9拍子という変拍子の作品である。“音響効果
”という意味のタイトル通り、凝ったアレンジによる様々な場面
が展開される。3曲目「ケルトの夢」は、2000年からオケコンに加わった最年少のメンバー、グザヴィエ・リュゲの作品で、出だしはタイトル通
りのケルト音楽風だが、やがて雰囲気がガラリと変わり、スティーヴ・ライヒのミニマル・ミュージックを思わせるアレンジになる。ちなみにリュゲは、オケコン以外にR&Bのバンドでも活動していて、そこではキーボードを弾いているそうだ。コントラバスの演奏能力ばかりでなく、他のメンバーとは違った音楽性を持ち込むことも期待されているのではないだろうか。
4曲目と5曲目はエティエンヌ・ルマネの作品で、“ロマ族・ロマーニ語”という意味の「ロム・ルム」も、タイトル通
り東ヨーロッパの民族音楽をほうふつとさせる、アップ・テンポの緊張感のある曲。それに続く「道化師」は、同じ人が書いたとは思えないほど雰囲気の違う作品で、ルマネの作風の幅広さがうかがえる。ユーモアとペーソスとがない交ぜになった曲だが、この手の微妙な描写
は、オケコンがもっとも得意とするところでもある。次の「原始人の帰還」はジャンテの作品だが、彼らのデビュー・アルバム(邦題:『ボッテシーニ・ブルース』原題
:Danses Occidentales)に収録されていた「ウイ」と異名同曲である。実はこの曲には未発表のプロモーション・ヴィデオがあって、“原始人が博物館でコントラバスを発見した”ところからストーリーが展開する、無声映画時代のドタバタ喜劇のような仕立てになっていたそうだ。本作の「原始人」は、8人編成で演奏されていた「ウイ」と比べて軽快さが増していて、ヴィデオのストーリーによりふさわしい作品に仕上がっている。7曲目「人さがし」はリュゲの作品で、フュージョン風のコード進行に乗ったアルコとピツィカートのソロばかりでなく、ロマンティシズムに満ち溢れたテーマが印象的だ。続く「おばあさんの怒りのぶどう」はオリヴィエ・モレの作品で、ジャンテによるコメントには“ボブ・ディランを思わせる、歌詞のないプロテスト・ソング”とある。ギターをかき鳴らすようなピツィカートが、この曲の個性を際立たせている。
「月夜のロバの水浴び」はルマネの曲。彼はニコニコしながら意味深なことをポソッと言うタイプの人で、タイトルを聞いただけではよくわからないこの曲も、演奏を聴いていると、何となくそういう情景を目にしているような気分になってくるから不思議だ。冒頭のピツィカートは、ヨーロッパのリュートやギター、そして中国や日本の琵琶(中国ではピパ、日本ではビワ)の先祖にあたるアラブの楽器、ウードを思わせる。消え入るようなエンディングでは、弦を弓の背の方で叩いているが、このとき、弓の背を弦に当てる位
置とブリッジの距離を変えると、違う音程で弦が鳴る。それを利用して、かなり高い音域でメロディーを奏でるという、細かい芸をさりげなく披露している。次の「アデーレの子守唄」は、ジャン=フィリップ・ヴィレが娘さんのために書いた曲。アルコのソロを挟んで、優しさ溢れるメロディーを延々と繰り返しながら、様々な変化を見せるアレンジが秀逸だ。11曲目の「ワークショップ」は、オケコンがR&Bあるいはフュージョン風の曲を演奏するときに、いつもアンサンブルのいわゆる“ベース・パート”を担当している、イヴ・トルシャンスキーの曲。彼は普段、学生にベースを教えてもいるが、昨年来日したときに、“最近の若いミュージシャンたちは、ジャンルの壁を作りたがるので困る”と話していたのが印象的だった。この曲のタイトルには、そうした風潮に異議を唱えたい気持ちが込められているように思う。そして、アルバムの最後を飾るのは意外や意外、ユーミンの「あの日にかえりたい」である。滅多に外部の作品を取り上げない彼らがユーミンを選んだのは、日本のファンへの感謝という意味もあるだろうが、他のレパートリーと並べて聴いてみても違和感がないところには、選曲における彼らのセンスが光っている。実はこの曲、昨年の来日公演でも、アンコールの“隠し玉
”として用意されていた。
彼らのアルバムを聴いていると、結成して20年以上経っても一向にネタの尽きる気配がないところに感心させられる。しかも、本作を含む6作品の中に、駄
作と思えるようなものはひとつもないのだ。その裏にはもちろん、彼らの旺盛な探究心と弛まぬ
努力があるのは間違いない。本作も、昨年の暮れにレコーディングが完了していたにもかかわらず、納得がいかずにもういちど全部やり直したというほど、念が入っている。しかし、彼らがこのオケコンを、“コントラバスだけのアンサンブル”という特殊なものではなく、たとえば弦楽四重奏のような、ごく当たり前のアンサンブルとして扱っているところにも、息の長さの秘密があるように思う。“当たり前”のアンサンブルだからこそ、どんなレパートリーでも演奏できるというわけである。しかも彼らは、レパートリーを充実させる過程の中で、コントラバスの特殊奏法を、特殊な効果
を得るためだけではなく、ごく普通に音楽を演奏するための手段として一般
化させることに成功している。コントラバスの可能性を、“条件次第ではここまでやれます”という不安定なものではなく、大地にしっかりと根を張った太い“幹”と呼べるものにまで育て上げた。幹がしっかりとしているからこそ、楽器を逆さまに構えたり、オートバイの音を真似したりという、“お笑いネタ”も生きてくる。また、マニアックな部分で勝負していないので、コンサートは老若男女、誰でも楽しむことができる。彼らの来日公演が回を重ねるにつれて、客層が確実に広がっているのは紛れもない事実である。“日本の観客はジャンルを気にせず、純粋に音楽を聴いてくれるのが嬉しい”と言う来日アーティストは数多いが、実際にコンサートやライヴを観に行くと、いかにもクラシック、いかにもジャズ、いかにもアングラという雰囲気があるのもたしかだ。その点、オケコンのコンサートは違う。その客層は強いて言えば、子供向けのミュージカルのそれに近いかもしれない。子供や孫といっしょに大人も楽しめる――これはある意味で、すべての音楽の理想とするところではないだろうか。
坂本 信
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