ARTIST

イエロー

Yellow

1968年、垂水孝道、良道兄弟が「エム」を結成。メンバーには川崎雅文の他、浅野孝巳(後にゴダイゴ)、西哲也(後にファニーカンパニー)、加納秀人(後に外道)、岡沢章(後に渡辺貞夫グループなど)といった錚々たる顔触れが揃っていた。一方、この同年には吉長信樹(ジョニー吉長)がドラムに転向し、ジョ―山中と「カニバルス」を結成している。 1972年 「カニバルス」が解散すると、吉長は垂水兄弟、川崎らと共に「イエロー」を結成、翌1973年から泉谷しげるのサポート・バンドとしての活動を開始し、1974年にはアルバム「黄金狂時代」で4曲のレコーディングを受け持つ。その後ライヴ・ツアーにもバック・バンドとして帯同し、1975年にはそのイエローの演奏が収められた「ライヴ泉谷〜王様たちの夜」(フォーライフレコードのリリース第一弾アルバムにもなった、1975年前半の主要ライヴを編纂したライヴ・オムニバス)も発売されている。 単独でのライヴ活動は1974年頃から、並行して行われていた様で、当時赤坂にあったクラブ「ムゲン」をメインにライヴ活動を展開。同年8月の「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」など、大きなイベントにも出演する様になり、人気と評価を高めて行った。 1975年にはファースト・アルバム「イエロー」をリリース。同年8月24日に日比谷野外音楽堂で行われたライヴを一発録りして収録したアルバム「バイブレイション」も同年末にリリースしたが、盛り上がりを見せていたその最中、バンドは惜しまれながらも突如解散してしまった。 その後、垂水孝道は故郷の北海道に戻り、垂水良道も鼓の仕事へ転身したが、川崎はカルメン・マキ&オズに参加。ジョニー吉長はアーティスト・ページに記した様に精力的かつ多彩な活動を展開したが、2012年惜しまれつつ急逝した。