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Bellwood 40th Anniversary Collection

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ベルウッド・レコードとは?

 フォーク・ジャンボリー諸作や、世界歌謡祭のグランプリを受賞した上条恒彦と六文銭「出発の歌」の制作に携わり評価を高めたキングレコードの社員プロデューサー三浦光紀氏がニュー・ミュージックを展開していくために、URCから小室等、 はっぴいえんど、あがた森魚、西岡恭蔵、山平和彦、高田渡、いとうたかおなどを引き連れて、これらのアーティスト達と キングレコードとで出資して発足させた株式会社―それがベルウッド・レコードです。

 オフィシャルのリリース第1弾は1972年4月25日。あがた森魚「赤色エレジー」と、友部正人「一本道」の2枚のシングル と、六文銭のアルバム「キング・サーモンのいる島」などが発売されましたが、いきなりあがたの「赤色エレジー」が30万枚 のヒットを記録して、幸先の良いスタートを切り、その勢いのままに多数のアーティスト作品を輩出しました。

 ベルウッドは先行していたURC、エレックとともに“3大フォーク・レーベル”と呼ばれる事が多いのですが、関西フォーク 人脈やプロテスト・フォークの色が強かったURC、歌謡界やヒット・チャートへの進出を目論んでフォーク・ブームの低年齢 層化を推進していったエレックと比べると、ベルウッドの作品はロック的/東京的なレーベル・カラーが印象的で、どこか 当時の洋楽的な香りもさり気なく盛り込ませていたその洗練性が大きく際立っていました。

 URCから流れて来た高田渡や加川良といったフォーク・シンガー達も、ベルウッドでのアルバムは、ドメスティックな風情よりも、アメリカのシンガー・ソングライターに通じる飄々とした佇まいの方を強調したサウンドを聴かせていましたし、はっ ぴいえんど〜はちみつぱいといった風都市(※)系ミュージシャンがこうしたシンガー・ソングライターのバックを受け持つ 姿勢は、当時の海外のロック/フォークのムーブメントに呼応し得るものとして評価されていました。

 また、音以外の大きな特徴として、URCやエレックが完全にインディペンデントな組織だったのに対して、ベルウッドには キングレコードというメジャー資本が入り、いわゆるメジャー・インディーとして成り立っていた事が上げられます。
 アーティストの自主創造性とレコード会社のビジネス性という、今なお相容れ難さが拭い切れない両者のマインドが融和 したというトピックは、日本の音楽・レコード史上初と言っていい画期的な出来事であったと言えます。

 フォーク人気の沈静化と、集うアーティストの方向性の拡散・多様化、そしてニューミュージック自体の変容・変遷など、 様々な状況の変化や要因が重なって、初期ベルウッドとしての実質的な活動は幕を閉じましたが、残された財産は後の J-POPにも広く多大な影響を与え続け、今なお貴重かつ独特の存在感を放っています。

 ※風都市= はっぴいえんど、あがた森魚、はちみつばい(鈴木慶一ら)らをマネージメントしていた伝説的事務所。 
         法人名ウィンド・コーポレーション。

 (参考文献:ストレンジデイズ2000年8月号「ベルウッド・レーベル研究」)